大学共通テスト 新潟県ver
AさんとBくんが二人で何やら話しているようです。
普段は一人でブツブツ呟いている二人が集まって何を話しているんでしょう?
ちょっと近づいて話を聞いていましょう。
<A>
漫才でできる事について考えた時、
時間制限という物が最初のとっかかりになると思うの。
即ち、我々の話すスピードから発話できる文字数が割り出される。
これに二人の人間の表情・仕草・声の抑揚の情報を追加する。
するとここから表現可能な限界がヒューリスティックスにわかるでしょ?
<B>
いやそうとも限らないと思うな。
何故ならそこには高次な言語処理とそれに伴う心理が全く触れられてないから。
俳句は文字数が決ってるけど、表現可能限界を示せるものはいない。
言語とその中の単語には、生きている付加情報があるでしょ。
「ラジオ」という単語を聞いたときに、人によっては深夜に聞いて笑っている姿を想像するでしょ。人によってははがき職人が一生懸命はがきを書いている様子。人によってはラジオブースでパーソナリティがカフを上げ忘れている姿を想像するでしょ?
人は一般概念をストアしているわけではなくて、常に具体を用いて記憶に結びつけてるんだよ。
だから、いくら時間の制約があったとしても、そこで表現されるものは無限。
そこにロマンがあるんじゃないか。
<A>
キモい話はやめて。
私が言っているのは、経験則からして、これ以上全く手垢のついていない余地は残されてないんじゃないかと言っているの。
あなたの人間や言葉に関する一般原理から出発する論理展開には辟易するわ。
あなたは制約を受けない無限の表現が可能な真新しい漫才が書ける?
あなたが考え付くことは、現存の文化と共通概念に制約を受けるでしょ?
たとえ新システムを開発できたとしても、それは虫食いの穴が埋まっただけのこと。
やっていることは、枠内の空き地を探すのと同じことなの。
だからこそ、未来には多くは残されていない。
<B>
君はエドワード・サピアか?
君はベンジャミン・ウォーフか?
キモい話は君も同じこと、言語に縛られている感覚に縛られているのさ。
君は言葉をまだ知らない赤ちゃんの頃、何も考える事が出来なかったか?
何も伝えられなかったか?
君の言う経験則ってのは、言語によって整理・編集された記憶の集合だろ?
僕の論理展開を実態と乖離した空論だというけれど、
君は本当に言語や時間に縛られている感覚があるのかと問いたいね。
<A>
この話が決着がつくことはないとわかったわ。
私とあなたの話している議題がずれてるの。
つまり、「りんご vs バナナ」の話ではなくて概念的には
「りんごを食べるとおいしいか vs バナナの皮で人が滑るのは面白いか」
を話し合っているのと同じ。果物という階層で共通するから一見議論しているように錯覚するけど、その実お互いに虚像に石を投げてる。
以上の二人の会話は衒学的で嫌でしたね。
ペダンティックなお笑い論ほど空虚で卑猥なものはないですからね。
(問一)Aさんみたいなタイプの鞄の柄を偏見で答えなさい。
(問二)Bさんの言っている事は、たとえ学術文献に基づいていようと、どうして人をイラつかせるのか。文中の引用にあなたの解釈を載せて答えなさい。
(問三)如何なるモチベーションで文章をここまで読んできたか答えなさい。
(問四)時間から逃れることは可能か? (Est-il possible d’échapper au temps ?)