現代人の記録と感想

記録と感想

おしゃべり

昨日は日記をつけ始める一日目として設定したわけだが、

結局書かなかった。これには自分でも驚かされた。

懺悔の気持ちを込めてこうして朝書いている。

 

ある女性とおしゃべりとは何かという議論になった。

その人との共通の知人が「コミュ力」が高いというのが話の発端だった。

共通の知人は目的のないおしゃべりが得意である。

例えば、「何見てるんですか」「最近どうですか」「忙しいですか」などから会話を芋づる式に引き出し、違和感なく会話のラリーを続けることができる。

正直私はその女性の評価に驚いた。私はその人のことを「まともに話ができないふわふわした人間」と考えていたからだ。

 

私は議論が好きだが、おしゃべりが好きではない。

もちろん友達とくだらない話をするのは大好物である。

しかし、無意味に話題が移っていくだけで一向に発展しない話は耐え難く、そのため共通認識の少ない初対面の人との会話は、極端にふざけるか素を全く隠し通すかの二択になってしまう。

 

おしゃべり力がコミュ力に近いと考えられている世界観が彼女にはあった。

そしてそれを当然と考える女性が多くいることも容易に推測される。

私は「相手の話を理解し、自分の意見を正確に相手に伝える力」こそが

コミュ力であり、世の中に必要とされている事だと思っていた。

 

男性と女性の脳に生物学的差異があることは、身体の差異を見れば当然のことに思われる。そして、その差異が能力評価に影響しているのであれば、それは意識的に自覚し、評価されるように自分を変える必要がある。

 

思考の過程には主に3つの種類があると私は考える。

1類推:アナロジー、「~と言えば」

2論理:帰納・演繹、原因と結果

3枠組:そもそも論

おしゃべりはこれで言うと1類推が多いのか?連鎖的に話を移していく

それとも思考の過程から外れて常に新しい話題から出発しているのか?

うーんわかんない!

 

わかんないと言えば、この前情報熱力学を勉強したんだけど全然わかんなかったんだよねー、マヂホント意味不って感じだった。

 

熱力学と言えば、非平衡熱力学について「散逸構造」っていう本があるんだけどアマゾンで中古1万とかするところを、この前神保町で新品4千円で買えたんだよね!マヂラッキーじゃない?

 

4千円と言えば千円札四枚なんだけど、一定の確率でチンピラにカツアゲされる駅前の数学モデルを作った時、千円札を体の4か所にしまっておくのと、100円玉を体の穴という穴に隠し持つのとでは、家に着くまでにどちらの残高の期待値が高いんだろう。

 

千円札と言えば、野口英雄が今度北里柴三郎になると言われているけど、黄熱病から破傷風って感じだよね、マヂうけるんですけど。

 

柴三郎と言えば、柴犬ってかわいいよね。マヂポメラニアンあざとすぎ、柴犬のちょうどいい感じマジ最高、マジ最高、ほんともうなんか、最高みが深い、ぴえん。

 

柴犬と言えば、ハチ公前ってめっちゃ混んでて、待ち合わせ場所にするのには局所最悪解だよね。結局都会人はハチ公に集まらないから必然的に、ハチ公を中心により田舎者が中心に集まる「(待ち合わせ場所のハチ公との距離)と(住んでいる場所と都庁との距離)が反比例する」不思議な分布が形成されてるよね、マジ万次。

 

ジョン万次郎と言えば、、、

 

おしゃべり力がある人は自分の周りに少数いる。得られるサンプルデータから信ぴょう性を犠牲に帰納的結論を導くと、お姉さんや妹が兄弟にいる人は高確率でおしゃべり力が高い。

 

高いと言えば、、、

 

この話に結論はない。おしゃべりうまくなりたい。